日記の補集合

日記であったりなかったりする

これで勝ったと思うなよぉ!!!

この記事は受験生 Advent Calendar 2019の3日目の記事です。

adventar.org

 

 

お詫び

締め切りに間に合わなくて申し訳ありません......。本当は別にこれっぽっちも申し訳ないと思っていないんですが形式上一応謝っておきます。

 

もう年の瀬ですね。にわかには信じがたいです。痺れました。本当は嘘なんじゃないかなと思っています。

 

僕がこの文章を書いているのは12月3日の深夜なのですが、ついさっきまで受験生AdventCalendarのことを忘れていました。締切が今日であることに気がついたときは2cmくらい飛び上がりました。嘘です。本当は締切が今日であることを知った上で放置していました。書くことが特に思いつかなかったからです。だいいち僕は受験生ではないのですが、気がついたらなぜか書くことになっていました。何でですかね。

 

ところで、僕は今『まちカドまぞく』を見ながらこの文章を書いているのですが、もし僕がこの文章を書いていなければ、僕はもっと集中してアニメを見ることができたでしょう。今この文章を読んでいる人(もしかしたらいないかもしれない)もこの文章を読んでいなければ、その時間をもっとマシなことに使うことができたでしょう。何だかお互い損ばかりしているような気がします。気のせいですか。

 

そもそも受験生AdventCalendarとは何なのでしょうか。誰か教えてください。僕は去年も書いたのですが、未だに正体が分かりません。取りあえず愉快な頭脳の持ち主が集まって面白おかしい怪文書を披露する場所であることは間違いないと思うので、僕も面白おかしい怪文書を書けば良いんですかね。しかし、去年はそう思って面白おかしい愉快な怪文書を書いたつもりだったんですが、面白くもないただの怪文書だと酷評を受けたので、それも憚れます。困りました。書くことがありません。いっそのこと最近読んだ『やがて君になる』最終巻のことでも書こうかなとも考えましたが、ネタバレをする訳にはいきませんし、だいいち僕は作品を読んで何かを感じてもそれを文章で表現するのに長けていません。僕はどこまでも受動的なオタクなので。

 

「受験生AdventCalendarなのだから、受験のことについて書けばいいのでは」と思った人もいるかもしれません。もちろんそれも考えたのですが、僕はまともに受験勉強をした経験がないのでそれについても特に書くことがありません。受験勉強をせず、受験勉強をしなくても何とか入れる大学に滑り込んで受験をやり過ごしたという非常につまらない話しかできません。僕がこの経験から言えることはただ一つの命題に要約されます。すなわち、「受験勉強をしないと、受験勉強をしないと受からないレベルの大学には受からない」というトートロジカルで意味のない命題です。

 

ここまで「いかに自分が書くべき内容を持っていないか」ということを力説してきたわけですが、自分でも書いていて何のために書いているのか分からなくなりました。本当はもう少しまとまった文章を書こうと思っていたのですが、「どうしてこんなものに頭を悩ませねばならないのだろう」という葛藤の末、知性も教養もユーモアもまとまりもない混線した文章になってしまいました。

 

最後に、これがこの文章の中で一番重要な情報なのですが、『まちカドまぞく』を見てください。以上です。

 

ちなみにタイトルはシャミ...シャドウミストレス優子さんの決め台詞です。

anime.dmkt-sp.jp

 

 

 

 

 

 

 

年の瀬

2018年ももう終わりである。思い返せば2017年も同じくらいの時期に終わったような気がする。驚嘆すべき偶然である。世間は師走ということもあって慌ただしいが、僕は暇である。なぜなら僕は受験生だからだ。受験生というのは受験勉強以外にすることがない。僕に受験勉強をする根性などあるはずもないので、当然何もすることがない。受験勉強をしない受験生は相撲を取らない力士みたいなもので、とにかく暇なのである。現在の僕は有り余る暇の合間を縫って年明けにあるらしい「センター試験」なるものの勉強をしている。と言えば嘘になる。実際は暇の合間を縫ってしているのはツイッターと本を読むことくらいである。とどのつまり何もしていない。とにかく受験勉強をしない受験生というのはたちの悪い暇人だと思っていただければ良い。

暇を持て余していてもおおっぴらに遊べないのが受験生という身分である。僕は積極的に遊ぶタイプではないのでその点についてはさほど不便に思っていないのだが、流石に長く続けば味が悪い。いっそおおっぴらに遊べるくらい度胸があれば楽なのだが、一応受験生という手前それも憚られ、かと言って真面目に勉強する気も起きない。僕のような不真面目な小心者はかくのごときジレンマを抱える。読者諸賢の周りにもこのようなどうしようもない人がいるかもしれない。その時はどうか優しくしてやってほしい。彼らは自分がダメ人間であることは重々承知であり、そのことについて非常にナーバスである。ゆえに、彼らに「やる気を出せ」や「頑張れ」などと声をかけてはいけない。それができるなら彼らも苦労はしないからだ。かと言って甘い言葉をかけるのも、彼らを付け上がらせるだけなので考え物なのだが。

森見登美彦『熱帯』を読んで

寒さがいよいよ厳しくなってきました。師走というだけあって、僕の身の回りも実に慌ただしくなり、慌ただしいのを好まない僕からすると、何となく居心地の悪い日々が続いています。慌ただしさの原因を辿ると、年明け早々に行われる「センター試験」なるものに行き着きます。どうやらこれが諸悪の根源らしいです。皆様も冬の寒さとセンター試験にはお気をつけください。

閑話休題。僕は今、最近読んだ本の感想でも書き残しておこう思い、受験勉強を措いて筆を取っている次第であります。

 

熱帯

熱帯

 

 

『熱帯』は僕が愛好するところである森見登美彦の久しぶりの新刊だったので、是非買おうと思っていました。しかしながら、11月の僕は財産の全てを『やがて君になる』の単行本に費やしていたので、発売後暫くしてから購入しました。

『熱帯』は実に不思議な小説でした。そもそも『熱帯』というのは、この小説の中に登場する小説のタイトルです。この小説は小説を巡る小説なのです。ここにまず、大きな入れ子構造があります。そしてかくのごとき入れ子構造が、『熱帯』という一冊の小説を巡って綿々と続いていきます。読み進めていくうちにその構造の複雑さに混乱し、謎は次第に増えていきます。そして、物語を巡る物語は多くの謎を含んだまま幕引きを迎えます。謎は謎のまま楽しめということでしょうか。何にせよ、読んでいる間は非常に楽しく、読んだ後は不思議な気分にさせられる小説でありました。気が向いた時に再読すればまた見方も変わるかも分かりません。是非皆様もご一読ください。

本ブログの目的について

ひょなこと(前回の記事参照)からはてなブログを開設した。せっかくなのでぼちぼち更新しようと思う。

本ブログは主に筆者の日常生活の中で生じた怪文書が投棄される。時間が砂漠の砂のように有り余る読者諸賢は、怪文書読解に興じ、時間を無為に浪費せられるのがよろしかろう。

怪文書について

    この記事は受験生AdventCalendar2018 1日目の記事です。あなたがこの記事を読むのに費やした時間は二度と戻りません。予めご了承ください。

 

 

 

 

 

    sksat_tty氏が受験生AdventCalendarなる様子のおかしなものを始めていた。僕はその言葉の持つアンビバレントな雰囲気にすっかり魅せられてしまった。その瞬間、僕はこの記事を書こうと固く決意したのであった。


 しかし、そこには問題があった。書くべき内容がないのだ。受験生AdventCalendarというからには受験にまつわるエトセトラを書かなければならないのだが、僕はあまり受験に詳しくないのである。確かに僕は受験生だが、いわゆる「受験生としての自覚」に欠ける部類の受験生だ。単語帳や参考書より漫画の単行本(最近は『やがて君になる』に感情の全てを支配されている)や小説や背伸びして買った読めもしない哲学書を好み、刻苦勉励というよりもっぱら牧歌的な生活を送っている。それに僕は受験があまり好きではない。同じ年代の人がいっせいに同じ方向を向いて同じことをするのが何だかあんまり面白くない。何が面白くないのかと問われれば、気の利いた答えを返すことができないのだが、とにかく何となくつまらないのである。したがって、僕はこの詳しく知っている訳でもなく、好きですらない「受験」というテーマを前にして、ただ困惑するのである。


 記事の内容について勘案していたところに、これまたsksat_tty氏のツイートが目に留まった。

 

受験生アドベントカレンダーは日々人生という試験を受験している皆様の怪文書を広く募集しています

 

 つまり、怪文書なら何でもいいらしい。だが怪文書というのは書けと言われて書けるものではない。自ずから湧いてくるようでなければ怪文書とは呼べないのである。

 

 されど、かつて怪文書作成の雄としてその名を轟かせた僕である、抜かりはない。僕のPCの「落書」と命名したフォルダには、僕がこれまで書いてきた怪文書の数々が眠っている。意気揚々と「落書」フォルダを確認すると、そこには過去の僕が書いた怪文書が20ほどあった。

 

 それらを一つずつ眺めていると(一生の中で最も無駄な時間であった)驚くべきことに、まともなものが一つもないことに気づいた。怪文書だからまともでないのは分かっていたのだが、インターネットに晒すに耐える質のものが一つもないのである。

 

 僕は過去の自分を恥じ、そして憤慨しながらそれらの怪文書を全て闇へ葬り去った(過去の自分が書いた文章というのは、現在の自分から見るとどうも稚拙で恥ずかしいものに映るらしい)。これらの怪文書が日の目を見ることは二度とないだろう。


 結局、僕は思い出したくもない黒歴史怪文書を見返し煩悶しただけで、肝心要の記事の内容については何も決められていないのである。一体どのようにして怪文書を書けば良いのだろうか?僕は大いに悩んだ。もっと深刻に悩むべき問題(例えば受験など)を差し置いて悩んだ。こんなことをしている場合ではないと知りつつも悩んだ。ふと我に返り、「なぜ受験生AdventCalendarなどというフザケタことをしているのか、恥を知れ!」などと自分を罵倒することさえした。

 

 それから1週間ほど輾転反側の日々が続いたが、待てど海路の日和なし、ついには何も思いつかなかった(いくつかの怪文書が生まれはしたものの、どれもあまりにどうしようもなく、読者諸賢のお目汚しにならぬよう、僕はこれを隠蔽する)。書けないものは仕方がないので、怪文書を書こうと思い立ち、断念するに至るまでの経緯を書くことにした。そして僕は思うのだ、これもまた怪文書である、と。つまり、この記事は怪文書についての怪文書、いわばメタ怪文書なのである。

 

 

 

 

追記:今回僕が隠蔽した怪文書をVane11ope氏による編集の上最終日の記事として投稿することになった。怪文書としての出来はまったく酷いものだが、駄文にも名編集、怪文書作成で勇名を馳せる氏の編集にかかれば立派な怪文書になることであろう。